・・・ 前編の続き



掛川



風は常に向かい風。昨日の雨の中の走行よりキツイかも。スピードも12~15キロぐらいしか出ていない。ペダルが重い。3日目で疲れも出てきたか? 掛川宿(かけがわしゅく)へ



葛川一里塚 東海道七曲がり 新町の七曲がり



葛川一里塚を過ぎて、やがて新町の七曲り。ここは坂道ではない。新町の七曲りは容易に敵を進入させないための構造だといわれている。掛川は掛川城の城下町なのだが・・・ 掛川城は見ずにとおり抜けてしまった。時間がなく、なかなか寄り道ができない。5日間で五十三次走破には少々無理があったか? 観光なしで、先へ先へ!



掛川市マンホール



代わりにマンホールの中で掛川城を見る事ができました。

次はいよいよ袋井宿(ふくろいしゅく)だ。




袋井



「いよいよ」と書いたのは、袋井宿がちょうど東海道五十三次の中間地点となる。江戸から27番目の「どまん中」の宿場だ。



富士浅間宮の赤鳥居 袋井松並木



12:25 富士浅間宮(ふじせんげんぐう)の赤鳥居。松並木の中を走る。東海道には各地に並木道が残っている。道行く人を風雨や日ざしから守った。この旅では、ちょくちょく道を間違えたが、松並木を見るとちゃんと旧東海道を走っているんだな、と安心できた。



どまん中東小学校 久津部一里塚



12:30 「東海道五十三次どまん中東小学校」と表札がかかる袋井東小学校。庭には久津部一里塚跡。



これより袋井宿 東海道どまん中茶屋 袋井マンホール



つづいて、どまん中茶屋。袋井は「どまん中」オシだ!



袋井宿東本陣跡 袋井宿東本陣跡2 袋井宿東本陣跡3



袋井東本陣跡。この旅もこれより折り返し、後半戦に突入だ!

次の宿場は目付宿(みつけしゅく)。



見付



目付宿は京からくだると、ここで初めて富士山が見えたことから「目付」の名が付いたといわれている。って事は、ここで富士山が見れなければ、もう見ること叶わずなのか?



これより西目付宿 見付宿木戸のモニュメント



「従是西(これよりにし) 目付宿」、東木戸のモニュメント。西側にも同じようにありました。



磐田市マンホール 130501_141215



この先、磐田駅に向かい旧東海道は左に折れ南へ。とたんに風がピタリと止んだ。今日は北西から強い風が吹きつける。この風との戦いでした。磐田駅の手前で再び旧東海道は西へ。とたんに風が吹き付ける。まだまだ風との戦いは続く・・・



天竜川の橋



新天竜川橋を渡る。橋の上はさらに風が強くなる。ハンドルを取られ、道の中央へ押し出される。橋の上では、車道を走るとあぶないため、なるべく歩道を走るようにした。2度ほど風に殺されそうになりました。天竜川を越え、次の宿場は浜松宿(はままつしゅく)。



浜松



連尺の交差点を左へ。風が止む。しばらくは南へ進む。



佐藤本陣跡 二つ御堂



15:10 佐藤本陣跡。浜松宿には六軒もの本陣があった。二つ御堂の高札場跡を過ぎると再び旧東海道は西へ。風・・・キターー!!

次の宿場は舞坂宿(まいさかしゅく)。



舞坂



前方に松並木が見えると舞坂宿はすぐそこ。



舞坂松並木 浪小僧 舞坂MAP



340本の松並木が約700mつづく。国道1号と交差する所に浪小僧(なみこぞう)と舞坂宿の案内版。国道には入らず、まっすぐ浜名湖へ。



舞坂宿本陣跡 舞坂脇本陣



16:20 舞坂本陣跡。向かいに脇本陣が復元されている。この先が浜名湖だ!



渡船場跡北雁木 渡船場跡北雁木2



北雁木跡(きたがんげあと)。昔の船着場跡だ。昔は新居関所近くまで約一里を船で渡っていたようだ。さあ、ここから風との戦いだ! 強い西風に浜名湖からの浜風が加わり、強い強い風になった。弁天橋を渡って次の宿場、新居宿(あらいしゅく)へ。



新居



浜名湖と浜名大橋



浜名湖と浜名大橋。弁天橋を渡ったところ。弁天島にはホテルや旅館が建ち並ぶ・・・



新居関所 史蹟新居関址 新居関所資料館 新居関所資料館2



17:00 新居の関所が見えた。新居関所資料館には「閉館しました」との文字が・・・ 関所の門、開かず! 16:30に閉館。意外と早いのね~。江戸時代には、箱根と新居の2箇所に関所が設けられた。



飯田武兵衛本陣跡 新居町マンホール



飯田武兵衛(いいだぶへえ)本陣跡。日も傾き、風が冷たくなってきた。

次の宿場は白須賀宿(しらすかしゅく)。



白須賀



白須賀宿は遠江国(とおとうみのくに)の西端の宿場です。



白須賀潮見坂下 潮見坂 おんやど白須賀



潮見坂下の道標。静岡の道標もこれで見納めか・・・。潮見坂は「西国から江戸への道程では、初めて太平洋の大海原や富士が見ることができる場所」らしい。富士山、見えるのか?

さすがに、ここまで走ってきて、この坂はきつかった。潮見坂を登り切った所に「おんやど白須賀」。



明治天皇御遺蹟地記念碑



潮見坂公園跡に明治天皇御遺蹟地記念碑。



白須賀本陣跡 白須賀脇本陣跡



17:30 本陣と脇本陣跡。石碑のみですが・・・。だんだん日も暮れてきた。豊橋まで、あと一息! 二川宿(ふたがわしゅく)へ。いよいよ静岡県も終わり愛知県に戻ってきたぞーー!!



二川



国道1号と合流。風にハンドルを取られるのは怖いが・・・車道を突っ走るぞ! ここは交通量が多く、トラックもガンガン走ってる。風も冷たい。JR新幹線のガード下をくぐり、JR本線の踏切を越えたら二川宿の入り口だ。丸一日、走り続け疲れもピークに・・・ 早くホテルで休みたい。



二川宿本陣資料館 二川宿脇本陣跡



18:20 二川宿本陣資料館。すでに閉館。向かいに脇本陣跡。なんとか日暮れ前に二川宿まで来ることができた。次の宿場は吉田宿(よしだしゅく)だが、もうすぐ日が暮れる。とりあえず豊橋市内まで行きホテルを探すことにした。急ぐぞ!



豊橋



19:30 豊橋市内のコンビニまで到着。すっかり日も暮れた。リックからライトを取り出し自転車に装着。初の夜間走行となる。まずは、スマホでホテルの検索だ。豊橋駅近くのニュー東洋ホテルを予約する。一旦、旧東海道から外れホテルへと向かう。相変わらず風は強く、そして冷たい。ホテルに着いたのは20:30を過ぎていた。なかなか予定どおりには行かない。やっぱりキツイな!この日程・・・



本日の走行データ

走行データ

移動距離126.8kmだと! ガイドブックでは、丸子~吉田間は110kmとなっていたのに・・・。どうやら予定通りに行かない原因の一つがココにあるようだ。実際は1~2割ほど多く走らなければならない。向かい風のせいか平均速度も時速9キロしかでていなかった。これまた想定外。





注)この記事は東海道五十三次の旅から帰った後に書いております。






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